パラサイト

貧富の差がテーマになっている作品は世界中にある。それ自体を象徴するような国だってある。ヨーロッパなんかはザ・貧富の差、ミスター貧富の差って感じ。あの辺りは貴族とか王様王女様の身分制度が強すぎて、嫌でもそんなのがテーマになりやすいんだろうな。

「パラサイト半地下の家族」は韓国を舞台に、社会問題にもなっている格差社会を2時間の映像にぎゅぎゅっと詰め込んでいる。貧困家庭のキム一家は無料Wi-Fiがなければスマホが使えず、家の前で立ち小便をする男を眺めながら食事をする。手に職はあるのに、仕事はない。ある日、親戚の紹介で資産家パク一家へ家庭教師のアルバイトをすることになるキム家の長男キム・ギウ。キム家は長男ギウを皮切りに金持ちパク家に取り入ろうとあの手この手を尽くし始める。息子よ、なにか計画があるのか。

見始めた時に「日本で一番悪い奴ら」「凶悪」の白石和彌監督の空気に近いなと思った。特に前者でもあった悪事を行っているけども凄く魅力的でたのしそうなシーンなんかは強烈なデジャヴュがあった。そもそも、アジアの名作映画って共通の空気があるような気がするな。砂利を踏む音が聞こえやすそうというか、雨に濡れているというよりも染み出してきているような建物とか。彩度の問題だろうか。

この映画、前半と後半で作品の色がガラッと変わる。どん底で生活するキム一家は天才詐欺集団よろしく資産家パク一家に寄生しようとする。ペースの良いコメディであっという間に1時間過ぎるのに対して、後半のサスペンスは重く、苦痛を感じるほどに鈍色だ。終盤に近づくにつれて、被害者であるパク一家が上流階級の嫌な部分を剥き出しにする。平凡な家庭に寄生する詐欺家族という構図が、貧困層を見下す富裕層家庭へと変化する。どう考えても悪い人達はキム一家であるはずなのにそうは思えなくなる。
作品の雰囲気、構図の逆転など、気がつくと気味が悪くなってくるようなギミックが映画に仕掛けられている。そりゃあカンヌで最高賞も取れる。

貧困と格差社会がテーマの一部、主題になっている作品ってここ数年急激に増えたような気がする。「ジョーカー」「プラットフォーム」「アス」や「万引き家族」。
なにかポストアポカリプスもので急に地球温暖化問題が使われはじめたのを思い出す。

社会問題云々は抜きにして、その手の映画が醸し出す陰鬱と、コールタールぶっかけてくるような最悪が僕は大好きだ。「パラサイト」はそんな最悪を不意打ち的に食らわせてくる映画で、最悪だけど最高だった。

書いてる途中で、「スノーピアサー」というポストアポカリプス映画があったのを思い出した。文明崩壊後に列車内で人間たちが生活するようになり、前方車両と後方車両で生活水準が異なる格差社会が作られていて、後方車両で泥水を啜っている人間が前方車両で悠々自適に暮らす人間にクーデターを行うみたいな映画。内容はあんまり覚えてないけどそういう映画もあったなぁと検索してみたら監督が「パラサイト」と同じポンジュノ氏。「パラサイト」の前身と考えると面白い。

バスターズ

イングロリアス・バスターズ」を見ました。監督&脚本は金・暴力・SEXを地でいく日本映画オタク、俺たちのクエンティン・タランティーノ

タランティーノの代表的な映画と言えば何か、と問われると今まで公開された作品全部と答えられるぐらい魅力的な作品しかない。
復讐に燃えるブロンド美女がサニー千葉の剣術指導で日本刀をぶんぶん振り回す「キル・ビル」動画サイトで切り抜かれまくってる「パルプ・フィクション」最高なオープニング「ジャッキー・ブラウン」血と肉、暴力と性、監督らしいフェティッシュが垣間見える会話、大衆娯楽映画を作らせればタランティーノの右に出る人はいないと思う。

イングロリアス・バスターズ」はWWⅡ真っ只中、ナチスドイツが幅を利かせている時代の話。SS大佐、ナチス専門部隊バスターズに所属するアルド中尉、それと親兄弟をナチスに殺されて復讐に燃えるユダヤ人ショシャナの3人を中心として話が進む群像劇になる。

映画のジャンルはいわゆる戦争映画だけど、差し込まれる登場人物たちのやり取りや劇中に漂う独特な緊張感が戦争映画っぽさを払拭しているのが良かった。雰囲気としては「ヘイトフル・エイト」に近い気がした。

バスターズのまとめ役アルド中尉を演じるのはブラッド・ピット。ブラピはキリッとした役より、こういうチャラけた兄ちゃんみたいな役のほうが好きだな。

ユダヤ人のショシャナとドイツ人フレデリックの関係は落ち着くところに落ち着いたと思う。映画のクライマックスを考えるとロマンスに着地するのはあまりに陳腐だし、さっぱりした終わりで良かった。

後半、ナチスの将校やヒトラーが可燃性フィルムによって燃え盛る映画館に閉じ込められて死ぬ。あくまで「イングロリアス・バスターズ」というフィクションの世界で起きた出来事で、歴史にはそんな事実も噂もない。こんな突拍子もないことが起こるわけがないだろ!と突っ込むのは野暮で場違いだ。虚構の世界で、これからもナチス兵とヒトラーはあの手この手で死んでいく。タランティーノは「こうしてもいい」と言っているようにも思える。歴史の漫画で笑うことはあっても、歴史の教科書で笑い転げることはないしな。

「プリデスティネーション」を見た

イーサン・ホーク主演、監督は吸血鬼SF「デイブレイカー」のスピエリッグ兄弟。

話は「ルーパー」とか「12モンキーズ」のような未来もしくは過去の自分が関わってくるタイムトラベルもの。「ダレン・シャン」を挙げると、本作と「ダレン・シャン」のネタバレになるか? 

「メンインブラック3」とか「インターステラー」もそうだけど、なぜタイムトラベルが絡むとこんなに面白くなるのか。単に自分の好みだから手を叩いて見ていられるのかと思ったけど、世の中のヒット作と謳われるSF作品には煎じ過ぎてもはや味がしない程タイムトラベルは使われている。最近だと「Re:ゼロから始める異世界生活」でも主人公が過去に戻って色々あれするみたいだし、少し前だと「魔法少女まどかマギカ」「シュタインズ・ゲート」もそうだ。古のフィルムを持ち出すと「戦国自衛隊」もその類だ。脳みそを電脳化したり、身体の半分以上が機械で、腕がマシンガンに変形してバスバス銃弾を飛ばしたりするよりも、現実世界への説得力と魅力がタイムトラベルは大きいのかもしれない。

物語の語り手ジェーンが自身の過去について喋る時、バーテンダーとジェーンが煙草の煙をまといながら、グラスの酒を飲んでいるシーンが印象的だった。そこだけ切り取れば、幸先の悪い展開を予言するような薄暗い光景だけど、後半へ続くにつれて明かされるジェーンの素性を考えると、バーテンダーとジェーン、2人が顔を合わせて酒を飲むことの重要さが浮き彫りになる。

デイブレイカー」はエンディングで未来への希望がある演出がされていたけど、本作は物語の終わりでイーサン・ホークの顔が、時間の狂気に飲み込まれているようにも運命への背反とも取れるような表情をしていて、その後の判断と結末を視聴者に委ねている。宿命とか運命というのにピンとこない人間なので、バーテンダーには運命の楔をどうにか引き抜いてほしい。

派手なアクション演出もなければ、社会問題に訴えるようなこともない。静かにとうとうと映画は進んでいく。使える布石は全部使う、誤魔化しのない純粋なSF映画で面白かった。こういう雰囲気の映画もっと増えてほしいな。

ブログ

身内でなぜかブログやnoteで文章を書くことが流行っているので自分もやってみることにします。

数日前に同業者の方と話をしたときにアレやれコレやれと提案をして、その中に絵日記(ハンバーガーちゃんとか川尻こだま氏みたいなの)をやったらどうですか? と軽口を叩いたのが自分の中で渦巻いていて、つまり自分がやったこともないようなことを、やったら?という風な上から目線だったことに罪悪感があり、自身を救ってやるためのブログと日記です。

ブログは直近で見た/観た作品とか聴いた/聞いた話と音楽、人の目にあまり触れさせたくないような厭な事を。日記は普段テキストエディタに書いているものがあるので、それをなるべく人が読めるように書きたいと思います。