ジョジョの思い出

ジョジョ」というと作中で使われる台詞の数々がインターネットスラングとして頻繁に使われたり、漫画のワンシーンが大喜利に使用されていたり、知ってはいるけど読んだことはない漫画の1つになりがち。

高校生以前の自分も「ジョジョ」という存在を知ったのはニコニコ動画ジョジョ替え歌とかMUGEN、あと叔父さんが持っていたファミコンジャンプにいたやつ(承太郎)ぐらいの知識しかなかった。

ジョジョの奇妙な冒険」を読み始めたのは高校生になってから。とりあえず1巻だけ買うか、と。真面目そうな男といかにもな男と犬が表紙の単行本1巻を買った。とんでもなく時代を感じる絵柄、90年代どころか80年代の漫画なのだからビビってしまう。かの有名な「おれたちにはできないことを~~」のくだりがいきなり収録されてるのも第1巻、「君が泣くまで~~~」もある。怒涛の勢いでぶちかまされる荒木節は自分の中で高くなっていた面白ハードルを軽々と飛び越えていく。読み終わって、次の巻を買うことも既に決定事項になった。明日にでも本屋に行こうとしたけど、僕の何十倍も漫画好きな母親のほうが速かった。ジョジョを読んでいることを知るやいなや、僕が学校帰りに2巻を買って家に戻ると、既に部屋の机には「ジョジョの奇妙な冒険」文庫本1~7巻(ファントムブラッドから戦闘潮流)があって、キッチンでしたり顔してヤニを吸ってる母親に僕は頭を下げることになった。俺にはできないことを平然とやってのける。

ジョジョは長いからね、文庫本でまず短いのを揃えたほうがいいよ」という母の助言を元に4-5-6-3部のの順番に文庫本を揃えた。6部まで揃えるのに1年もかからなかったと思う。

すっかりジョジョ漬けになってしまった僕は、授業らしい授業もやらなくなって自習と書かれた黒板を目にすることが多くなった学校にジョジョの奇妙な冒険を持ち込んでいた。大人しくするなら何をしてもいいというのは非常にありがたく、お気に入りの第5部を何度も読み返していた。

「なに読んでんの」ある時、前の席にやつに声をかけられた。

「読む?」「絵柄がキモいやつか」「いや内容は面白いから」みたいなやり取りをしたのを覚えてる。
「暇だし読むわ」と言った前の席の友人は、放課後になって「続きを読ませてくれ」と僕から続きの巻を借りていった。

暇を持て余した人間は多くて、みんなゲームや漫画を持ち込んでどうにかして時間を潰していた。ゲームはモンハンとかゴッドイーター、漫画はいろんなのをグループ内で回し読みしていた。「鋼の錬金術師」とか「とある魔術の禁書目録」なぜかガンガン系の漫画が流行っていた。歴史の先生がトロ(シンナー)をやるより健全だ、と言っていて笑った。

卒業までそうやって漫画とか小説を貸し借り、回し読みして過ごしていた。ジョジョは結構な人間の間で読まれていたけど、全員が最初に「絵柄が嫌だ」と言って、しばらくすると「続き読みたいから」と次巻を催促してくるのは愉快だった。第1巻から読んでるとマイルドな北斗の拳みたいな絵柄だし、その辺りも良かったのかもしれない。

大学に入ると、アニメ化の影響もありジョジョに理解のある人が増えた。今までインターネットやパロディネタなんかでしか知らなかった人が、原作に触れて元ネタ理解するまでになった。単純に嬉しいことで、ネット掲示板のスタンド強さスレとかで管を巻いていた住人たちが活気づいたような印象もある。好きな部と理由を書いてけスレは書き込みがすぐに1000超えるようになったりして、アニメ化の強さを改めて思い知ることになる。

 

アニメ『岸辺露伴は動かない』がNetflixで2月18日全世界独占配信。予告映像も公開 - ファミ通.com

岸辺露伴は動かない」は第4部に登場した漫画家のスタンド使い、作中屈指の人気キャラで作者のお気に入り。彼を主役とした短編マンガが幾つか描かれて、アニメ化、実写ドラマ化も果たした。人気キャラを主役にした描き下ろしエピソードということもあり、どれも渾身の出来になっている。

先月ぐらいにやった高橋一生主演の実写ドラマはクオリティが高くて、スタッフや制作陣の気合の入りっぷりがよくわかる。特に岸辺露伴役の高橋一生が本当に素晴らしい。自分の中の高橋一生は「ベランダで観葉植物を育てている。なんかふわふわした音楽を聴きながら、将棋を指してる」だったので、よくもまぁ性悪変人漫画家に寄せたなと、よく磨いたなという気持ちなわけです。

なんでいきなりジョジョの話をたらたら書いてるのかというと、Netflixで「岸辺露伴は動かない」の配信が始まって嬉しい気持ちになったから。