マネーボール

弱小野球チームが統計学的なアプローチで球団を強くしようという話。主演はブラッド・ピット。「トゥルー・ストーリー」のジョナ・ヒルもいる。

ブラッド・ピット演じる主人公ビリー・ビーンはとにかく真っ直ぐな人物だ。古参のスカウトマンや監督、コーチが見てみぬふりする問題に腕を振り上げ、主張する。このチームはカスだ、と。ゼネラルマネージャーという高い立場から言葉を選ばずに言ってのけるビリーに周囲は冷たい視線と辛辣な言葉を吐き捨てる。

アンタは間違ってる、このチームは終わるぞ、統計学なんかよりも伝統を重んじろ。そんな古臭い伝統が役に立たないことはビリーも映画を観ている人間にもわかっている。だけど人は、それが因習だとは理解していても簡単には捨て去ることができない。不確かな存在を信じる人間は少ないけど、曖昧な意思の元で成立するルールに人は縛られる。

ビリーは厳しい制約(資金難や人手不足)の中で闘っていた。統計学を用いたチーム作りは未知数の手法とされ、球団内部は勿論のこと、外部からも批判の声を浴びることになる。劇中、成績の振るわないビリーの球団を猛烈に批判するラジオパーソナリティの台詞が聞こえてくる。一貫して監督や選手に責任はなく、GMこそが敗因の根源だとまくし立てるパーソナリティ。

ビリーの闘いは孤独だった。誰にも頼らず、誰にも認められない闘いをする。僕らにだって孤独な闘いはある。勉強や絵を描くこと、身体を鍛えることだって。SNSが発展した今なら簡単に誰かに頼って認めてもらうことができる。出来上がった絵をネットにアップする。鍛え上げた身体を公開する。チヤホヤしたメッセといいねの数で人は孤独を少しだけ受け入れることができる。ビリーの闘いにSNSはない。いいねも称賛のリプライもない。

「パパはクビになるの」

不安を誰とも共有できないビリーに娘の無垢な台詞が刺さる。娘は作品におけるビリーのオアシス的な役割を持っているわけじゃない。至極冷静に、純粋な疑問をぶつける。娘の疑問は球団のコーチやスカウトマンが言ってることと実は同じなのだけど、他の誰よりも娘の言葉は鋭くビリーに突き刺さる。

失敗すれば全てが終わる。自分と球団、それに関わる人全員に失敗の泥がかかる。味方はいない。だけど明確な敵も存在しない。ただ、早く実を結んでくれと願うしかない。

映画の終盤でようやくビリーは報われる。常識を無視した新しい理論は正しかったと証明し、リーグ優勝は逃したものの、チームに光を当てることに成功する。

だけど暗いトンネルを抜けたのは一瞬で、ビリーは現在のチームのため、ライバルチームからの多額のオファーを断り、いまいる球団に残って闘うことを選択する。
暗闇を抜けた景色に見惚れることもなく、次のトンネルに入り込む。長い、とても長くて、いつ抜けられるのかわからないトンネルへ。誰にだって闘いはある。でも多くが誰かと協力したり、決して1人じゃない。ビリーは1人で闘うことを選択した。
映画では語られずとも孤独な闘いは続く。それがわかったとき、僕はどうしようもなく切なくなった。